丹波の有機コシヒカリ 新しいパートナー生産者さんを訪ねて

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コラム

丹波の有機コシヒカリ 新しいパートナー生産者さんを訪ねて

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こんにちは!

株式会社ハニーマザーの西田智祐です。

梅雨のジメジメした時期。私達にとっては外出しずらかったり、過ごしにくかったりデメリットが多いシーズンのひとつですが、お米や農産物にとっては大切な時期でもあります。

今回は、私達の運営するブランド、田田田堂(たたたどう)の新しい有機米生産者さんに会いに、兵庫県は丹波に伺ってきました。

見渡す限り田んぼが続く丹波の広大な地
見渡す限り田んぼが続く丹波の広大な地

訪問先のホープファームの小橋(こばし)さんは、有機農業だけで6ヘクタール(甲子園球場1.5個分!)を管理されている、丹波の有機農業では中規模の生産者さんです。

小橋さんは若いころ、大阪で印刷会社の営業マンをしていましたが、34歳の時に実家の農業をつぐために丹波に帰郷。

そこから20年。有機農業の良さを広めるために、農業従事者としてのかたわら「丹波市立みのりの学校」という日本初の全日制有機農業学校の臨時講師もされています。

また地域の「丹波有機の里づくり推進協議会」の会長さんもされていることから、有機農業に対する並々ならぬ情熱を伺うことができます。

有機農業発祥の地から

小橋家は江戸時代頃から代々農業をされている家系で、1970年代に小橋さんのご両親にあたる代から有機農業を取り入れています。

この70年代には日本全体で環境汚染からなる公害が社会問題として広く課題になった時代でもあり、その解決方法のひとつとして地域の農家さんと阪神間の一般消費者との間で有機農産物の取引が始まりました。

当時の有機農業と呼ばれるものは、牛糞や鶏糞のような有機的な肥料を使い、化学肥料を使用しない農法の総称だったそうで、ほとんどの農家は減農薬だったそうです。

この頃に丹波地域ではじまった有機農業は日本ではじめての取り組みだったのだそうです。(丹波の市島地域が発祥)

そこから1999年に有機食品の検査認証制度(有機JAS制度)というものが整備され、有機農業は肥料だけでなく、農薬も化学的なものを使用してはいけないというものに変化していきました。

有機コシヒカリと有機黒豆の圃場で

この小橋さんが丹精込めて作るのは、丹波の有機コシヒカリ。

原材料を酒米とミズホチカラを基調とした私達「田田田堂」としては、炊いて食べるお米を取り扱うのははじめて。

まずはこの有機コシヒカリをお米の麺として近日皆様にお届け致します。

このコシヒカリただものじゃない

小橋さんの有機コシヒカリは大変珍しい方法で出荷されています。

私もはじめて耳にしましたが「イマズリ米」という製法でお米の鮮度を保ち、いつでも収穫したばかりのお米をお届けしています。

通常お米は秋に収穫され、米粒を守っている「もみ」という部分を取り除き、玄米として保管するのが一般的。

この玄米を精米し白米や胚芽米にして一般家庭に流通となります。

しかし小橋さんは秋の収穫時には全てのもみを取り除きません。

収穫時のもみが付いた状態で保管し、出荷の量に合わせてその都度もみを取り除き出荷していきます。

「もみが付いていることで、米が自分で呼吸をして、収穫したばかりの鮮度を保つんです」と小橋さん

左から「もみ」「玄米」「白米」の状態

「それと、もみを取ってしまうと冷蔵庫保管にせなあかんけど、もみのままだと常温でも問題ないので、電力も節電になるしね」

出荷の都度、籾摺り(もみすり)をするという手間はかかりますが、このコシヒカリは自然の形で品質を保つ=省エネルギーに加えて環境配慮型の有機農業。

AIような技術は使用しませんが、最先端のサスティナブル農法ではないでしょうか?

有機農業を地元に

小橋さんが臨時講師をつとめる「丹波市立みのりの学校」は一年制の全日制農学校で、有機農業にフォーカスしたカリキュラムばかり。

年間最大20名までという行き渡った環境で、高校卒業してすぐに入学される方もいれば、仕事をリタイヤされて心機一転有機農業を学びにくる方もおられ、その中から年間3~4件程度の新規有機就農者が丹波に生まれるそうです。

講演会での小橋さん

「丹波は昔から有機農業が根付いていたから、新しく有機農業をやろうとする新規就農者への理解が他の地域よりはあるんやと思います」と小橋さん。

有機農業の新規は地域によって、近隣の農業関係者との関係構築が難しい場合もあると、よく聞くことがありますが、ここ丹波では有機農業を新しく目指す方が増えやすい土壌があり、今後も有機農業が盛んな地域になっていく仕組みがある感じました。

兵庫初のオーガニックビレッジ

農業や環境に興味がある方は近年「オーガニックビレッジ宣言」という言葉を耳にすることがあるのではないでしょうか?

各市町村の首長が私たちの町や村はオーガニックビレッジを目指します!という旗印で、これを掲げている地域は積極的に有機農業を根付かせるため、行政と農業者が連携していくというものです。

現在では日本で124市町村(令和6年6月25日現在)でこの宣言がされていますが、実情として有機農業の普及が思うようにすすまないケースが多いようです。

秋の稲刈りの様子

この宣言は行政が主導で発令をし、その後に有機農業者を集うという順序で事が進むため、有機農業生産物として認定される「3年以上化学肥料・化学農薬不使用で栽培」という条件に対して、すぐに農家さんが対応できるものではないためです。

その点、丹波は70年代より消費者と有機農業を目指す農業生産者との関係性があったため、農家さんから首長へオーガニックビレッジ宣言をして欲しいと強い要望があり、すぐに実態が伴ったようです。

有機農家の夢

小橋さんは御年54歳。

「あと10年後くらいには甥っ子に有機農業をゆずって、僕は大阪で有機農産物をつかったカフェとかやって、色んな有機商品を紹介できるお店をやりたいんです」と語ります。

現在も有機栽培の小麦を作っていて、それを地域の製麺所と障がい者施設と連携し、世にも珍しい国産有機小麦の麺を作って販売しているそうです。

圃場を説明して歩きながら将来の展望を語る小橋さん

「この麺。道の駅なんかでは結構ファンがいてねー。これで将来うどん屋もええねぇ~」

先祖代々続く自身の畑で地域の環境へ配慮した有機農業を続け、未来の有機農業へのバトンをつながれている、とっても素敵な生産者様でした。

田田田堂の米めんは、これか有機山田錦に加えて、この有機コシヒカリを原材料に皆様にお届けします。

このコシヒカリそのまま食べてもとっても美味なので、お米としても将来ご紹介できればと考えております!

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この記事を書いた人

西田智祐

西田智祐

株式会社ハニーマザー代表。東京のデザインホテルのバーで、バーテンダーとして修業後、独立を目指し神戸へ帰郷するも、創業者である母親の病をきっかけにハニーマザーに入社。その後ニュージーランドで語学・文化・蜂蜜について学ぶ。人と接することが好きで、お酒を交えての談笑は至福の時間(大人数は苦手)。休日は家族と過ごしたいが、ティーンの娘に疎まれることもしばしば。

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