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コラム

金沢発・被災者の「心の隙間」に寄り添う贈りものプロジェクトのこと

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2024年元日に大規模な地震が石川・能登半島を襲ってから、約8ヶ月。その余波により、望まぬ生活の変化を余儀なくされた方たちが、今もたくさんいます。そんな中、行政の支援物資とはちょっと違う「贈りもの」を介して、被災者との交流を進めているのが、金沢市在住・なかむらくるみさんの「ちょっこしねんけどプロジェクト」です。田田田堂は、なかむらさんからのお誘いを受け、今年2月以来、4回にわたって焼き菓子の寄付を行ってきました。今回お届けするのは、このプロジェクトの経緯や、これからの展望について、なかむらさんにお聞きしたインタビューです。

「ほんのちょっと」のアートやおやつが、心の隙間を埋めてくれたら

なかむらさんは金沢市を拠点に活躍するダンスアーティスト。障がいを持つ方を含め、子どもから大人まであらゆる方を対象に、ダンスを通じて自分の心や身体を再発見するきっかけを提供しています。

10代の頃からコンテンポラリーダンサーを目指していたなかむらさん。英国留学を果たすも、ケガによりダンサーとしての岐路に直面。しかし帰国後、知的障がいを持つ人々と関わるようになり、彼らの無垢で自由な身体表現に触発されたことが、今の活動につながっています。

そんななかむらさんが震災後に「ちょっこしねんけどプロジェクト」を立ち上げたきっかけは、イタリアに住む友人の画家から、なかむらさんのもとに、「能登を思って100枚の絵を描くから、被災された方に渡してほしい」というメッセージが届いたことでした。生存と安全確保のための支援はもちろん最重要だけれど、その支援だけでは埋められない「心の隙間」を、こんな贈りもので少しでも満たすことができれば。そんな思いが、なかむらさんの中に芽生えたのです。ちなみに「ちょっこしねんけど」とは、能登の方言で「つまらないものだけど」とか「ほんのちょっとだけど」というニュアンスを表す言葉。

なかむらさん

「誰かが手を動かして作った贈りものを、私たちの手で直接被災者の方々に届けたい。さらに、プロジェクト初期から、できるだけ石川県外の方を巻き込んでやらせてもらいたいという思いがありました。」

自分自身が「おいしい!」と思ったお菓子を、食べていただきたくて

こうして各地の知り合いに声をかけていったなかむらさん。イタリアから届いた100点の絵に加え、滋賀の障がい者アートのアトリエ「やまなみ工房」さんの作品も集まりました。ほかには生地屋さんが提供してくれた布もたくさん。布は身にまとったり間仕切りにしたり、いかようにも使えて便利なだけでなく、きれいな色彩や手ざわりが、心を落ち着かせてくれる効果もあります。

なかむらさん

「一方で、おいしいおやつも心身にとって大切なものだと思ったんです。その時、心に浮かんだのが田田田堂さんでした。私が田田田堂さんの焼き菓子を知ったのは、震災前の2023年秋、金沢の酒蔵・福光屋さんの店頭でした。普段からグルテンフリーを心がけていることもあって、おいしそうだなと思って自分用に買ってみたんですけど、食べてみてすぐに、“これは人に教えたい!”って思いました。だから震災後の1月、面識もないのに、ぜひ寄付をお願いしますってメールでアタックしたんです。」

福光屋さんといえば、田田田堂のパートナー生産者である藤岡農場さんが、長年契約農家として山田錦を納入している老舗酒蔵。田田田堂はその山田錦のうち、酒米としては規格外になってしまう中米(ちゅうまい)を製粉して、焼き菓子に有効活用しているのです。そして、田田田堂が拠点を置く神戸もまた、1995年に阪神淡路大震災に見舞われた歴史を持つまち。そう思うと、田田田堂と「ちょっこしねんけどプロジェクト」との間に、不思議なご縁を感じずにはいられません。

慣れない町で、二次避難生活を送る方々に寄り添いながら

当初、なかむらさんたちは、こうやって集まった物資を、輪島市や珠洲市などの被災地に出向いて、直接地域住民の方々に手渡したいと思っていたそう。しかし道路の復旧状況や、被災地での受け入れ体制などを考慮すると、すぐには無理だということが判明。そこでなかむらさんたちは金沢市の社会福祉協議会に掛け合い、市内にある支援物資配布拠点に定期的に出向いて、そこで贈りものの手渡しを行うことにしました。

なかむらさん

「調べてみると、すでに多くの方が金沢市内に二次避難して来られていることがわかりました。ですから金沢市内にも支援物資を必要とされている方向けの配布拠点があるんですよ。」

金沢市内にある支援物資配布場所での一コマ。物資は現場に置きっぱなしにするのではなく、なかむらさんやプロジェクトの主旨に共感してくれた県内のアーティストたちが立って、訪れる人の顔を見て会話しながら手渡ししています。
金沢市内にある支援物資配布場所での一コマ。物資は現場に置きっぱなしにするのではなく、なかむらさんやプロジェクトの主旨に共感してくれた県内のアーティストたちが立って、訪れる人の顔を見て会話しながら手渡ししています。

なかむらさんたちが行政の支援物資配布拠点に通うようになって早数ヶ月。訪れる被災者の方々も、最初はお互い見ず知らずの間柄だったかもしれませんが、時間が経つにつれて顔馴染みになり、時には井戸端会議のようなコミュニティがそこに成り立っているように感じられるそうです。

なかむらさん

「食品などの生活必需品を受け取りに立ち寄られた流れで、ご婦人方が、洋服を選ぶコーナーで、まるでファッションショーみたいに、“あんた、これ似合うわいね〜!”なんて盛り上がっているんですよ。被災した方同士がお互いの体調を気遣いあったり、体験談を共有したりという動きは、活発になっている気がします。ただご高齢の方が多くて、体の不自由さや認知症など、日常生活を営む上でいろんな困難があるだろうって、ちょっとお話ししただけでも想像がつくんですよね。そこをサポートする人材がぜんぜん足りていないこともよくわかるので、何か自分たちにできることはないかと、日々感じています。」

安心できる居場所を提供する「ORUBA」

そうやって行政主導の支援現場に通い始めるのと機を同じくして、今年3月、なかむらさんたちは縁あって出会った古い一軒家を改装し、アートや飲食が楽しめる休憩所「ORUBA」をオープンしました。

なかむらさん

「本当に急きょ始められる運びになったんです。場の運営は、一度始めたら簡単に辞められるものではないですから、当然不安や迷いはありました。でもそんな中で私の背中を押したのが、うちの子が通う保育園に転園してきた女の子の姿です。お父さんが消防士で能登を離れられない中、彼女はおじいさんおばあさんと一緒に金沢市に二次避難して来られたということでした。私はその子から何かを言われたわけではないんですが、彼女を見ていると、“私、ここにいていいのかな?”という戸惑いとか寂しさが、体全体から滲み出ているように感じてしまって……。こんなふうに、ほっと安心できる場所や時間から突然切り離されてしまった方が、この町にたくさんいるのかもしれない。それなら、その方たちが日常の中で一時的にでも安らげる居場所を作れないか、と思ったんです。」

JR金沢駅からもほど近い瓢箪町にあるカフェ&休憩所「ORUBA」。アートの展示や身体表現のワークショップも行われています。

今ではこの「ORUBA」も「ちょっこしねんけどプロジェクト」の実践基地。さまざまな人が訪れる中で、被災者の方々と世間話を交わしながら贈りものを渡したり、次なる贈りものの企画制作をメンバー同士で考えたり、ということを行っています。

田田田堂は2月以降4回にわたって、黒糖ガレット4枚入りを合計500個寄付。

お金以上の何かを循環させながら、次のステージへ

プロジェクトの発足からなかむらさんが大切にしてきたのは「お金以上の何かを循環させたい」という思いでした。「ORUBA」でも募金箱を置いてお金を集める、というやり方は一切していません。

なかむらさん

「義援金を送ることはもちろん大切で、私もそれはさせていただこうと思っています。ただ、ORUBAでは人と人が出会って何かが生まれる、ということを大切にしていきたい。お金をチャリンと入れて終わり、ではなく、ORUBAの中で起きたことがお金を生み、それがまた次のアクションにつながって……っていう循環を作りたいんです。その渦が自然といろんな人を巻き込んでいって、“気づいたら自分も何かの役に立っていた”っていうふうにできたらいいなって。」

最近の事例では、金沢市内の織物工場から、廃棄予定だった端糸を譲り受け、手芸やラッピングに使いたい人向けに「よりどり自由」方式で販売。その収益をお菓子作りの材料費に充てたりしているそう。また、愛媛県の知り合いから届いた大量の無農薬レモンを、格安詰め放題で販売したことも。ある時は、震災の影響で美容院のオープンが遅れてしまった美容師さんが、チャリティーカットを買って出たこともありました。それらの活動から生まれたお金が、次なる贈りものを作る元手になるのです。

廃棄されるはずだったものが、必要とされる場所で生かされてお金を生み出したり、誰かの浮いた時間が、人の役に立ったり。なかむらさんのお話を伺っていると、「助ける人」対「助けられる人」という図式には収まりきらない「うれしい」の循環が生まれている様子が伝わってきます。そして、それこそが今後、まだまだ時間のかかる能登の復興にとって大切なことなのでしょう。田田田堂やハニーマザーのようなお店が、そして生活者である私たちが、その循環に加わる方法は、まだまだいろいろありそう。そんなふうに思えたインタビューでした。

なかむらくるみさんのウェブサイト

https://sokonidance.com/

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この記事を書いた人

松本 幸

松本 幸

ハニーマザーのコミュニケーションディレクターを務めるフリーランスのコピーライター。神戸育ち大阪在住。著書に、2002-2006年のパリ在住経験から企画編集執筆した「パリ発キッチン物語おしゃべりな台所」がある。江戸落語と文楽が好き。週末菜園チャレンジ中。

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