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コラム
25周年を迎えて
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いつもハニーマザーをご愛顧下さいまして誠にありがとうございます。
ハニーマザー創業者の西田恵美子と申します。
私にとってハニーマザーは我が子のような存在で、今年25歳を迎え多くの皆様に愛されているその姿を見ると何とも言えない感情が溢れてきます。
25年を迎えてメイン商品のマヌカハニーも装いを新たに次の時代に移っていくのだなぁと、嬉しい思いで若い人たちの活躍を見ております。
私の人生を振り返ると3回の大きな学びにより自分が助けられ、その事がハニーマザー創業に結びついてきたのではないかと思います。皆様には取るに足らない小さな私事ですがお付き合いいただければ幸いです。
ニチメンとの出会い
私が商社のニチメン(現双日)に入社したのは昭和45年の春、忙しいのが好きと面接で言ったのが幸いしたのか?「木材部南洋材」に配属された。
後で聞いた話では、最も独身男性が多い部署だったようで驚き!しかし、ワイルドな人が多かったと記憶している。
若い女の子の私はおじさま方にはとても可愛がっていただいたことをおばさんになって実感した。
失敗をしても優しい先輩、食事に誘ってくれるおじさま、仕事は忙しいけれど幸せな日々そして2年足らずで社内結婚、寿退社と相なった。ちなみに夫は私がアシスタントとしてついていた木材部の武骨な男性であった。
しかし、人生はそんなに甘くはない。新婚2週間程度で夫は単身赴任。インドネシアに行ってしまった。
残された私はそれがどんなことなのかも想像できないほど、幼稚で世間知らずであった。
孤独との出会い
しばらくして、ハネムーンベイビーを授かったことが分かった時も嬉しくて夫に知らせたが、一人で初めての出産を迎えることの寂しさや大変さを知る由もなかった。
実家に帰り、流産の心配を抱きながらもめでたく長男を出産。喜びを夫と共にすることもなく産院では一人、喜び合う夫婦をうらやましく眺めていた。
「人の幸せは何だろう?」とこの時、慣れない子育てをしながら思うことが多くなって行った。
長男が2歳近くなり夫は帰国、初めてわが子を手にした感慨はいかばかりであったかと想像するも、私が子供に取られたように新米の俄かパパは思ったに違いない。
私は幼い子供に忙しく、父親になり切れない夫と二人の間に挟まれ心労が続いた。
嬉しいはずの家族団欒がギクシャク、加えて新しく慣れない転居先で私は孤独を深めていった。
そんな中、私は家庭だけに幸福感を求めることの限界を感じ始めている自分を見つけ、もがき始めていた。女性として、妻として、母として様々な顔を持ちながら「人として充実した幸福感はどうすれば手に入るのだろう?」まるで思春期を迎えた子供のように自問する私、夫は何が不満なのか訝り、子供の世話は待ったなく続く。
私が幼いのであろう、私には遅い自己覚知の時期であった。
第一の学び
そんな折、模索する私に行政の公民館活動で興味の惹かれる講座が目に留まった。
小さな子供には保育室もあり「女性学」を1年間学べるというありがたい企画。毎週、雨の日も風の日も幼子を背負い学んだ。
私の中にある結婚だけでは満足できない自分に対する自己否定。
夫の理想は妻が家庭だけにおとなしく収まって欲しいというもの。
日々の葛藤と悩みの中で、学びを深めていくに従い「人として社会の中で生きて自己実現することは当然の欲求である」と知ることができた。このことは私の人格に自信と自己肯定を与えてくれた。
かくして遅すぎた20代の思春期は終わり、学びの大切さを知った。
第二の学び
それからも、夫の単身赴任は繰り返し、子供も3人になり転居も9回と目まぐるしく忙しい日々は続いた。その間学んだことは、人は一人では生きて行けないということ。
最終的に人は1人だとしても、悩みを聞いてくれる人や話し相手がいるとかなり孤独は癒される。
孤独な日々を過ごした30代はカウンセリングを学び「いのちの電話」のボランティア活動も始めた。
10年余り、良き師に恵まれて実践的な心理学を学んだことは人生の宝となり、今でも私の血肉になっている。
第三の学び
40代は単身赴任にも慣れ、子育ても落ち着き、精神的な自立はまずまず出来ているが経済的な自立はできていないことに不安を覚えて資格取得にチャレンジ。
めでたく、内閣総理大臣および経済産業大臣事業認定の「消費生活アドバイザー」と「消費生活専門相談員」の資格を得た。
もう転居しないで済むように神戸に家を建て、この資格を生かして講座の企画や運営・講師など経済的自立を目指して動き始めた矢先、夫がニュージーランド支社長として赴任することになった。
それまでは、単身赴任だが今度は家族と一緒らしい。しかし、私の経済的自立計画はどうなる?悩みに悩んだ結果、私は日本に留まることを決めた。人生は皮肉なものである。
夫のニュージーランド勤務は胃潰瘍との道ずれ、しかし、現地の人に「マヌカハニー」を薦められ胃潰瘍はすっかり良くなった。夫の赴任中に数回訪れたニュージーランドの素晴らしい大自然に感激!
夫婦して殺菌効果や治癒力のある「マヌカハニー」の虜となった。
夫もそろそろ帰国と思われる時、当時日本では「マヌカハニー」を購入することは難しかった。そこで、私が輸入して販売することを現地の人に相談したら、止めるようアドバイスされた。
「マヌカハニー」は独特の臭みがあり、今までチャレンジしたがダメで日本人には好まれないと言うのだ。
しかし、私は「消費生活アドバイザー」の資格取得で学んだ最新の消費生活に関する知識から日本はこれから健康志向になる。日本人の味覚も変化しているので必ず受け入れられると根拠のない自信を持った。
ハニーマザー設立へ
1998年、有限会社「ハニーマザー」を立ち上げ、売り先のない2トン(最低ロット)の「マヌカハニー」を輸入。
夫は英語の翻訳だけは助けてくれたが、資本金はすべて私のアルバイトで貯めたもの、会社の登記やラベル作り、何からなにまで1人で行った。
今でも保存効果の高い瓶にこだわり、品質・味・価格には自信を持ち販売している。
仕事を通じて、自己実現の幸福感と心配ごと、その両面を体験できたのは貴重であったし、生きる喜びも味わえた。
そんな中、働きすぎたのか55歳で「癌」を発病した。病気は自分で作った物、自分で治せるかも知れないと6年間手術をせずに生活習慣を見直し、身体の為にできるだけの努力をした。
闘病中も講座の企画や講師活動は自身で続けたが、「マヌカハニー」の輸入販売は幸い次男が助けてくれた。
今年、「ハニーマザー」を立ち上げ「マヌカハニー」の輸入を始めて25年になる。今は息子の時代となっている。
2014年、双日を愛した夫は病床で「自分の愛用していたマヌカハニーが家業になったことが嬉しい」と言い残して癌でこの世を去った。
2020年10月、私が以前マンションの1階を購入し事務所としていた所をリニューアルして店舗を作った。そこでは、次男のお嫁さんがローフード(酵素を大切に加熱しない料理法)の料理教室やアレルギーフリーのソフトクリーム。
グルテンフリー&アレルギーフリーのクッキーやケーキも販売している。
株式会社「ハニーマザー」は大自然の不思議な力に恵まれた「マヌカハニー」と誰にでも安心して楽しみ食べてもらえるものを紹介している。
この先に続く未来でも皆様に愛される会社であることを願うとともに、多くのお客様と会社を支えてくれているスタッフに感謝の意を込めて。