山田錦をつなぐ家に生まれて【藤岡家ファミリーヒストリー】 | ハニーマザー

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コラム

山田錦をつなぐ家に生まれて【藤岡家ファミリーヒストリー】

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日本の風土からの授かりもの「お米」をもっと楽しもう!と、米粉の可能性を広げるものづくりに取り組んでいるハニーマザー。昨秋にこのジャーナルでご紹介した、兵庫県多可郡多可町の藤岡啓志郎さんは、まさに大切なパートナー生産者です。20代にして農業法人を立ち上げ、持続可能な農と地域の未来を考えている藤岡さん。そんな若きエースを育んだ藤岡家の歴史とはどんなものだったのでしょうか。今回は特別に、今年初頭に亡くなられたお祖父さまを悼み、藤岡さんご自身が寄稿してくださいました。約80年前に多可町で生まれた「山田錦」が、全国ブランドに押し上げられるまでの道のりに、さまざまな形で貢献してきた藤岡家の人々の思い、感じてください。

山田錦誕生から約80年。藤岡家が「発祥の地」でつないできた思い

昭和39年の坂本の様子

昭和11年(1936年)に誕生した山田錦の発祥の地として知られるのが、ここ多可町です。私の田んぼがある坂本では、昭和35年(1960年)に老舗酒蔵·福光屋さんとの契約栽培が始まりました。坂本の農家さんは山田錦の品質を上げるため、米選機に山田錦を通し、等級を上げる努力をされていました。そこから出たくず米を食用米として何ヶ月もかけて自家消費していたそうです。その努力が実って、坂本の山田錦は、昭和45年(1970年)兵庫県酒米振興会20周年記念大会で、振興会会長賞を受賞することができました。当時の我が家は、私の曽祖父がメインとなり耕作を行なっていた頃です。

昭和39年の稲刈りの様子

昭和52年(1977年)~昭和57年(1982年)の間は、祖父が坂本農会長を務めていました。土壌分析を行って、山田錦栽培を徐々に有機肥料に変えるなどの取組みを行うほか、品質向上のために、農会役員による品評会も行っていました。農会長を退任した祖父は、1984年に中町(現:多可町)に発足した山田錦部会の初代会長に抜擢されます。

昭和63年(1988年)になると区画圃場整備事業が開始され、大きな圃場で農業に取り組むことができるようになりました。そして平成2年(1990年)の兵庫県酒米振興会40周年記念大会において、坂本の山田錦は知事賞(集団の部)の栄誉に輝きます。この頃は山田錦の人気が非常に高く、栽培面積が蔵元の需要に追い付かない状況だったとのことです。

その後、坂本では平成14年以降、堆肥を基盤とした100%有機質肥料体系が確立。悪条件下でも抜群の品質を保ち、収量も安定させることができるようになりました。そして坂本の一部農家さんの間で、山田錦有機栽培が始まったのは平成17年(2005年)。父もその理解者であり、平成23年(2011年)に農会長に就任後、環境保全型農業の推進に努めていました。現在、弊社では減農薬の特別栽培米と、化学肥料・農薬不使用の有機JAS認証米の2本立てで耕作を行なっています。有機栽培米は慣行栽培、特別栽培と比べ、「米粒がスリム化する」「収量が少ない」「生青米が多く検査等級が落ちる」などの問題がありましたが、 人にも環境にも優しい最高の農法であるため、より良い山田錦をめざして知恵を絞り、今に至るまで挑戦し続けています。 多可町全体で見ると、山田錦の有機栽培に取り組む農家さんはほんの数%で、その大半はここ坂本の農家さんです。

私が祖父から学んだこと

私が祖父から学んだこと。それは「謙虚さ」です。90歳になっても畔草を刈り、田んぼに入り雑草を引いてくれていました。一度も頼んだことはなかったのですが、「引いてやったぞ」とは一切言わず、そっとサポートしてくれていました。水管理や稲の生育状態なども、栽培責任者かのような熱心さで圃場に足を運びチェック。現役を退いてもなお、山田錦への愛情が伝わってきました。

また謙虚さに加え、感謝の念も忘れない祖父でした。私が耕作させて頂いている農地のほとんどは、地元の方々にお借りしている農地です。祖父は自分で育てた野菜をお世話になっている地権者の方々に配り、感謝を伝えていました。人柄が良い祖父だからこそ、周りからの信頼があり、山田錦部会の初代会長に抜擢されるなど、多可町における山田錦の普及に貢献したのではと感じております。近くでその姿を見て、学べたこと、本当に感謝しています。天国にいる祖父に伝えたいのは、「ありがとう」、その言葉に尽きます。

私が持っている志

1.多可町の農地を守っていきたい

多可町では大変高齢化が進んでおり、耕作が困難な方が増えています。不耕作地が増えれば、景観が損ない災害のリスクも上がります。農地を保全し、守っていくことも農家の使命と考えています。私が40歳になる頃には50ha程管理できる体制を整えていきたいです。

2.伝統である山田錦を守り、日本酒の用途以外でも活躍する場を作っていきたい

多可町は「酒米の王様」山田錦の発祥の地です。日本酒の需要がどんなに落ち込んだとしても、山田錦の栽培は辞めることなく続けていきます。代々つないできた山田錦を、良い形で次の世代につないでいきたいです。本来であればお酒にしか用いられていなかった山田錦に、米粉という違う顔で活躍できる場を与えてくださった「ハニーマザーさん」、紹介してくださった「農園若づる 辻さん」に感謝です。私自身、山田錦の米粉がお菓子に適しているといったことは知らず、新たな発見でした。これからも良き材料になるよう心込めて栽培させて頂きます。

3.多発する獣害被害への対策として、獣害に強いにんにくも地域の特産にしていきたい

今後、より獣害被害が多発するようになれば作物を栽培することが難しくなります。そこで獣害にも強く、身体に良い「にんにく」を特産にしていきたいと考えています。無農薬栽培大規模化を目指し、兵庫県多可町産にんにくの良さを伝えていきたいです。

4.新規就農者の支えとなるような会社を作っていきたい

私の会社アグリブライトは、設立当時から新規就農者の支えになりたいという想いで上図のロゴにしています。AgLiBrightが茶色=土をイメージ、若葉=新規就農者と見立て、AgLiBrightが土台となり、新規就農者を支えられるような会社にしたいという思いを込めています。 何も伝手がなく農業に参入し継続させていくことは、国の助成金があったとしても決して簡単なことではないと思っています。私の場合は祖父や父、周りの方々に支えられ営農を継続できています。組織が成熟した暁にはサポート体制を築いていきます。

5.農業×〇でより素晴らしいものを生み出していきたい

農業(Agriculture)と希望を繋げる(Link)ことにより、より光り輝く(Bright)ものを生み出す。会社名であるAgLiBrightはここからきています。

6.環境保全型農業を継続し、人にも環境にも優しい農業を広めたい

苗代で苗を育てているところ。農協から稲を購入する農家さんも多い中で、育苗から自前でするのが「環境保全型農業」にこだわる藤岡家の基本。

日本は高温多湿の条件下であり、病害虫による被害は避けられません。現状、慣行栽培で農業を行っている方々が少しでも減農薬栽培へシフトできるようにモデルとしてあり続けたいです。
※ハニーマザーさんに納めさせて頂いている山田錦は有機JASかつ無農薬·無化学肥料で栽培しています。

7.サポートしてくださる方々が笑顔で働ける会社でありたい

露地栽培での農業は炎天下の中、作業を行うことが多く体力的にも厳しい環境ではありますが、少しでも多くの笑顔が生まれる会社でありたいです。

「良い人が作った食べものは、必然的に良い食べものになる」と信じて

「一人でも多くの方に最高の農産物を届け、最高の農産物から笑顔を生み、笑顔から幸せを創造し、皆様の未来づくりに貢献します。」

上記がアグリブライトの企業理念です。

お客様に最高の農産物をお届けするには、まずは「生産者=人」から作らなければならないと考えています。「いやいや人より先に良い物を作らんかい」と思われるかもしれません。しかし、お客様に商品を提供する過程では、様々な方にお世話になります。この過程で一人も欠けてよい方などいません。携わってくださっている全ての方々に感謝し、誠実で挑戦心のある生産者を理想とし、日々精進しております。「良い人が作った食べ物は必然的に良い食べ物になる」という考えです。これから先、営農を続けていく中で、様々なことがあると思いますが、良くない方向に行きそうになった時に私を正してくれる羅針盤のような考えです。

食べ物ってその時の雰囲気であったり、作ってくださった方のストーリーであったり、様々な要因も「美味しさ」に加わってくると思います。そこで私たち生産者ができることは「想いを食材に乗せて伝えること」。食べてくださる方々から「笑顔」が生まれる食材を提供し続けたいと考えております。私たちが生産した食材で「小さな幸せ」を感じてくださるお客様がたくさんいてくださったら嬉しいです。

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